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宮城
宮城県(みやぎけん)は東北地方の県のひとつで、東は太平洋に面し、西は奥羽山脈に接する。724年に多賀城が置かれるなど、東北地方における畿内政権側の拠点の役割を担ったが、中世の武家政権時代になるとその拠点性は失われた。1600年に伊達政宗が仙台藩をたちあげると、東北の雄藩として仙台城下を中心に発展が始まる。1868年の戊辰戦争に敗れて北海道に移住者を大量に出したが、明治政府の中央集権体制の下、東北地方の政治的拠点とされた仙台市が発展し続け、現在は、全国有数の仙台都市圏を中心に、東北地方の政治・経済・文化の中心の役割を担うまでに発展した。
また京都府につぎ、県庁所在地(仙台市)への人口集中率が著しく約43%と全国第2位である。 自然も多く残っており、ササニシキ、ひとめぼれをはじめとした米所として有名。同時に、世界3大漁場の「三陸沖漁場」に近いため、全国屈指の水揚げ量を誇る気仙沼港・石巻港・塩釜港等を有し、カツオ、サンマ、マグロの他、牡蠣、ふかひれ、ホヤ等の特産の魚介類も豊富である。故に食材王国宮城と称されることも有る。
気候は、夏は酷暑が少なく、冬は温暖で降雪量も東北の中では少ないので、すごしやすい。
現在の宮城県の地には、古墳時代から大和王権の影響力が及んでおり、東北地方最大の雷神山古墳などの前方後円墳が造られている。724年(奈良時代)に多賀城が設置されて以来、畿内政権側について奥六郡(日高見国;
現在の岩手県)の蝦夷勢力と対峙する軍事・政治の拠点化が進んだ。平安時代にも奥六郡のアテルイ、平泉の奥州藤原氏と対峙して畿内政権側の拠点の役割を担ったが、鎌倉時代になって武家政権ができると、権力並立
(武家・公家・寺家) が進んで畿内政権(特に公家)の力が次第に弱まり、東北地方における当地の拠点性は失われていった。1600年に伊達政宗が仙台藩をたちあげると、東北の雄藩として仙台城下を中心に発展が始まった。但し、62万石の雄藩であっても東北地方の一政権であることはかわらず、東北地方の中心の役割は担っていない。1868年の戊辰戦争の際に奥羽越列藩同盟の盟主となったが、新政府軍に敗れて石高を28万石にまで減らされ、困窮した家臣団が蝦夷地(北海道)に大量に移住した。その後、明治政府の中央集権体制の下に組み込まれ、東北地方支配の政治的拠点とされた仙台市を中心に発展が始まる。現在の宮城県は、三大都市圏、福岡都市圏、札幌都市圏に次ぐ規模の仙台都市圏を抱え、南東北のみならず、東北地方全体の政治・経済・文化の中心の役割を担うまでに発展した。
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